過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 風吹けば名無し 2018/01/31(水) 21:23:35.23 ID:hpnsFnCSd
神「おかのした」
人「誰にも持ち上げられない岩じゃないやん!嘘つき!」
神「???」
全能の逆説
全能の逆説(全能のパラドックス)は、全能である存在(以下「全能者」)に論理を適用する際にうまれる哲学上の逆説の一つである。この逆説は、全能者の論理的矛盾を示している。例えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理的不可能であり、全能者は矛盾している。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理的に正しくない。
神を全能者とする場合、伝統に反した答えが導かれる。例えば神が全能者として存在しているとすると、神は一切何も必要とせず存在可能なため、神にとって世界や被造物は必要でなく、何かを愛する必要もない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/全能の逆説
持ち上げようとしたのはイエス・キリストとしての神だからセーフ
集合が違う
絶対壊れない盾も売ってるぞ
矛盾
矛盾(むじゅん、英: contradiction)とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど、論理の辻褄(つじつま)が合わないこと。物事の筋道や道理が合わないこと。
『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/矛盾
すり抜ければ解決するやん
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突き方が甘かったとかいう逃げ道があるからセーフ
人「矛盾してるやん!」
神「そもそも矛盾してるから出来ないんであれば全能なんて存在出来ないぞ」
人「」
はい論破
神も常に成長しとるから
持ち上げようとするときに成長したからもてた
そっくりさんやったら神に失礼やろ
元スレ:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1517401415/
よくわからんなぁ…
「ぼくのかんがえた全能」を
「ぼくのかんがえた矛盾」で自己否定してるだけと違うの?
なんか特定の神性の設定を共有してるわけじゃないんでしょ?
一応、哲学者の回答として
以下のような説明が挙げられているみたいですね~
哲学者の回答
通例、全能の逆説は、「全能者は<自分が持ち上げることのできない石>を作ることができるか」という問いとして表現される。
この問いは次のように分析できる:
・ある存在は、<それ自身が持ち上げることのできない石>を作ることができるか、できないかのどちらかである。
・もし、その存在が<それ自身が持ち上げることのできない石>を作ることができるならば、その存在は全能ではない。
・もし、その存在が<それ自身が持ち上げることのできない石>を作ることができないならば、その存在は全能ではない。偶発的全能者
存在が偶発的に全能である場合は逆説は解消できる:
・全能者は自分に持ち上げられない石(あるいは分割できない原子など)を作る。
・全能者はその石を持ち上げられず、全能でない者になる。
本質的に全能である者と違い、偶発的に全能である者は全能でない者になることが可能である。しかし、ここで問題が生ずる。その全能者は本当に全能だったのか、それとも単に強大な能力を持っていただけだったのか (Hoffman)。本質的全能者
存在が本質的に全能である場合は逆説は解消できる:
・その全能者は本質的に全能である、故に全能でない者になることはできない。
・さらに、全能者は論理的に不可能なことをすることはできない。
・全能者が持ち上げられない石を創造することは、上記の論理的不可能性にあたる。故に全能者がそのようなことを要求されることはない。
・全能者はそのような石を創造することはできないが、それでも尚全能性を保つ。
この考えでは、必然的に「全能者も論理法則を破ることはできない」という論点を受け入れることになり、確かにこの逆説全体がこのような論点を強力に正当化している。このため、哲学者イブン=ルシュド は全能の逆説をさらに進め、その考えはパリ司教であったエティエンヌ(ステファン)・タンピエの激しい糾弾を浴びることになった。
石を用いた表現のかわりにイブン=ルシュドは次のように問うた。「神は内角の総和が180度ではない三角形を作ることができるのだろうか。」論理的不可能
一部の哲学者は、全能性の定義にデカルトの観点を含めればこの逆説は解消するという姿勢を崩していない。その観点とは全能者は論理的に不可能なことをなし得るというものである:
・全能者は論理的に不可能なことをすることができる。
・全能者は自らが持ち上げられない石を作ることができる。
・全能者は次いでその石を持ち上げる。
思うに、かのような存在は数学的に2足す2を5にすることもできるのであろうし、四角い円を作ることもできるのであろう。この場合その存在の全能性は、本来的に矛盾であるかくの如き記述を乗り越える能力を指す。ハリー・G・フランクファート (en:Harry Frankfurt) の言を用いれば、「もし全能者が論理的に不可能なことを為すことができるならば、彼は彼自身扱うことのできない状況を創造することができるばかりか、一貫性という限界を超えて、自ら扱うことのできない状況を扱うことができるのである。」
だが、この方法で逆説を解消することは問題を孕んでいる。定義それ自体が論理的な一貫性を無化してしまうという点である。逆説は解決できるかもしれない。だが、それには出費を伴う。そのような存在が論理を超越してしまうので、論理はガラクタになり、無用ないし無意味なものになってしまうのだ。アレンの「理性」は、論理を放棄することで逆説を解消する人々を風刺している。
アレンは次のように書いている。「もし彼らが理由(あるいは理性)抜きで論議しているなら — 彼ら自身が一貫性を持つにはそうでなければならない — 、彼らは理性的な納得を得ることはできないし、理性的な論議にも値しない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/全能の逆説
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