過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/31(金) 05:09:11.77 ID:IarcMLC+0
テセウスの船
テセウスの船はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。
ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じである(同一性=アイデンティティ)と言えるのか、という問題である。ギリシャの神話におけるテセウスの船
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
すまんが、俺はアヘ顔には興味ないんだ
テセウスの船はwikiからだが、
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、
アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。
このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。
すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、
別の者はまだ同じものだと主張したのである
って感じの
カルネアデスの板
カルネアデスの板(カルネアデスのいた、Plank of Carneades)は、古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したといわれる問題。
カルネアデスの舟板(カルネアデスのふないた)ともいう。舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。
緊急避難の例として、現代でもしばしば引用される寓話である。現代の日本の法律では、刑法第37条の「緊急避難」に該当すれば、この男は罪に問われないが、その行為によって守られた法益と侵害された法益のバランスによっては、過剰避難と捉えられる場合もある。
調べてみたが蜘蛛の糸っぽい話だね
緊急避難って法律とか初めて知った。勉強になる
それに似た話だと、トロッコ問題とか好きだわ
カルネアデスだろ
改修、修復されたと知ったときのあの妙な違和感のことかな
そうそう。
例えば「金閣寺」の柱をが傷んでるから交換した。
1年後に、屋根が傷んでるから交換した。
順々にいろんな箇所を交換・修復ないししてった時に、
最終的に残った金閣寺は「金閣寺」であるといえるのか、って感じだね
まず亀が前方を移動している
それを俊足のアキレスが走って追いかける
しかし亀は常に動いてて要るため、亀が元居た地点にアキレスが追いつく頃には、亀もわずかながら移動している
そしてアキレスが亀の移動した地点に到達する頃には、再び亀もわずかながら移動している
アキレスは永遠に亀に追いつけない事になる
アキレスと亀
「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である。」アリストテレス『自然学』
あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。
スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。
アキレスと亀はすごく面白いと思ったわ
ある一つの砂山から砂を移して、その砂でもう一つの砂山を作る場合、
いったいどの時点で片方が砂山でなくなり、もう片方が砂山になるのかっていうやつ
俺の中のイメージだと、元の砂山の高さを超えたあたりからかなぁ
でも重なる程度の砂があれば、それは砂山なのか
家で作る焼きそばが、屋台の焼きそばの味に遠く及ばない現象はなんて言うんだ
プラシーボ効果
マトリックス的な
水槽の脳
水槽の脳(すいそうののう)とは、あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の中の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を、電極を通して脳波を操作できる非常に高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから、水槽の脳はコンピュータの操作で通常の人と同じような意識が生じよう。実は、現実に存在すると思っている世界は、このような水槽の中の脳が見ている幻覚ではなかろうか?
知らなくてwiki見たら参考画像でビビったわ
マトリックスってこれだったのか。参考になったわw
まさかスレタイに繋げられるとは思わなかったわ
ミカン食べてるのに本人はキャビアを食べてる気になれるな
逆だろ
例は変わるが、色盲とかまさにそれなのかね
友人は子供にメロンを「またメロン」と覚えさせた
ラプラスの悪魔
ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、Laplace’s demon)とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもののこと。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。
詳しくは知らないんだけど、ラプラスの悪魔って神様の事指してるんじゃないの?
一方で実体が消滅しきっても名前が存在し続けて国宝であることも充分ある
最近、人間の精神も肉体の一部じゃないかなと思ってきた
すべての物は原子の集まりに過ぎないって考えならそうなる。
だけどそうすると、本当の自由意志なんてないことになる。
困ったものだ
まったく別の材料から同じ人間を組み立てた
分解されて転がる今までその人間だった肉片と
別のものから組み立てられた、その人間とまったく同じ存在がいる
みたいな感じか
そんなかんじ。
自分の肉体に他人の意識を埋め込んだ場合、それは私か。
という問いでもある
他人の意識を埋め込んだら、それは別人な気がする
俺が解釈したテセウスはスワンプマンに近いんだが
ある男が沼にハイキングに出かける。
この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。
その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばに落ちる。
なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥に化学反応を引き起こし、
死んだ男と全く同一形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。
スワンプマンは原子レベルで、死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。
もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[1]。沼を後にしたスワンプマンは、スタスタと街に帰っていく。
そして死んだ男が住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら、眠りにつく。
そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。(wikiより
男とスワンプマンは同一と言えるのか。みたいな
貧乏だった俺は「シール付いてる中古のジャンクPC買ってきて中身総入れ替えしたらいいんじゃね?」
とかってずっと試行錯誤してたわあの頃
やっぱり脳?
俺の解釈だが、テセウスの船を人間に当てはめたとき、
「別のものに交換」の別の物とは、その人間の全く同じコピーなのね
だから脳に関しても、その人間の記憶・精神をもった同じコピー
交換しても記憶と精神は変わらないけど、「交換前と同じ人間」であるのか。みたいな
他人のパーツと交換するのであれば、やっぱり脳が入れ替わったら自意識は変わるかも
でも臓器移植で他人の人格も移植されるっていう都市伝説(なのかはしらんが)があるから、わからん。
身体は作り物の義体で電脳化された脳は記憶の書き換えが可能
記憶によってだけ自分が自分であれるのなら
記憶の書き換えが可能になった今、個とは何か、みたいな
甲殻は物理的でないゴーストっていうなにかを肯定しているよね。
これからさき技術が発展し続けて、機械が哲学的ゾンビではありえないことをしたら、ゴーストが否定されるのかな。
高度な演算に一様にゴーストが宿るなんて仮定も生まれるんだけどね
電脳の演算にゴーストが宿るなら、論理上、板に木片でレールを作って、
そこにビー玉を転がすだけの原始的なコンピューターの演算にもゴーストが宿ることになる。
中国語の部屋みたいな話になってきたな。
その人間が個を証明する根拠は
自分の名前や内部の記憶と外部(他者)の記憶、それからDNAなんかがある
テセウスの船にそれらを当てはめると素材(細胞)は入れ替わるけど
名前はあるし、内部記憶はないが外部記憶(歴史)はある
設計(DNA)だってちゃんとある
人間が10歳の時の自分と20歳の時の自分を違うもののように言うように
テセウスの船にも同様のことが言えるんじゃないかと
無い知恵しぼって考えてみた
それを踏まえると、”忘却”、ってものすごい怖いな
ある名とその意味が永遠に失われるし、そして失われてきて、これからも失われる
なるほど
観測者の存在って大きいよな
例えば俺が明日記憶を失って、その後、家族や知り合いに別の名前で呼ばれ続けたら
俺は俺でなくなるのかな。それでも俺は俺なのか
もし気になったらDNA鑑定してもらえばいいんじゃないかな
喪失する前の自分のDNAを検出できる物証がなければ自分じゃないかもね
でも我思う限り「俺は俺」じゃないの
俺を指す対象が違うだけで
竜巻に実体が無くても持続している限り同じ竜巻と認識されるように
人間も朽ちた船も持続している限りは同じものでいいと思う
構成心理学っぽいな。
よい連続性を見るのが人間の意識か?
橋本淳一郎の「時間はどこで生まれるのか」が面白かったよ。読んだのが結構前だからうろ覚えだけど
時間は錯覚であり選択意思自体が時間だとも言える
エントロピーの増大則に逆らう選択意思の刹那刹那に時間が生まれていてそれが並列的に連綿と並べられている
宇宙はすでにはじめから終わりまでが描かれて出来上がった一枚の絵のような構造モデルであると同時に
今まさに作られていて我々もそれに参画してる
みたいな感じだった気がする
たしかに、ヤクザ社会にもヨハネスブルグの裏町にも北朝鮮にも、ノモスはあるよな
自由主義民主主義から距離があるだけで
アキレスは収束するし、有限時間に無限のプロセスを認めるのは可能だし、
意識はハード込みのシステムだし、ハードに対するソフトウェアじゃないし
皆とっくに解明されてることだよ
テセウスの船の部品は「外部」の部品であって、内部から創りだされる物じゃないんじゃね?
船の材料の樹木が年月を経て奇跡的に元の船と同じ形になったのならともかく。
それとアキレスの収束って独自の前提があって初めてじゃないっけ
テセウスの船なんて問題はそもそも存在しない。
たしかに観測者次第だが、問題としては存在すると俺は思うよ
人間の体の一部を機械に取り替えたらそれはどこまで「人間」と呼べるのかという
元スレ:http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1293739751/
秘伝のタレの例は凄くわかりやすいと思います…
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