過去記事再掲載について
サイト移転時にお蔵入りになってしまった過去記事の復活を行っていましたが、ようやくほぼ全ての記事のサルベージが終わりました。
復活掲載に関しては完了しましたが、しばらく古い記事に修正や手直しを加えたものを深夜帯、時事性の無い記事のみに限り引き続き掲載させていただきます。ご了承ください。
モス男、金子たちが居ない時期の古ーい記事もありますので、懐かしむ気分で楽しんでいただければ幸いです。
1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/04/08(水) 22:23:45.548 ID:au9GnsDJ0.net
世界五分前仮説
世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説のこと。
哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。 この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。
たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。
哲学的ゾンビ
哲学的ゾンビまたは単にゾンビとは、心の哲学で使われる言葉である。
哲学的ゾンビという言葉は、心の哲学の分野における純粋な理論的なアイデアであって、単なる議論の道具であり、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」という形で定義された仮想の存在である。
哲学的ゾンビが実際にいる、と信じている人は哲学者の中にもほとんどおらず「哲学的ゾンビは存在可能なのか」「なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか」などが心の哲学の他の諸問題と絡めて議論される。
仮に“哲学的ゾンビが存在する”として、哲学的ゾンビとどれだけ長年付き添っても、普通の人間と区別することは誰にも出来ない。それは、普通の人間と全く同じように、笑いもするし、怒りもするし、熱心に哲学の議論をしさえする。物理的化学的電気的反応としては、普通の人間とまったく同じであり区別できない。もし区別できたならば、それは哲学的ゾンビではなく行動的ゾンビである。
しかし普通の人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは、哲学的ゾンビにはその際に「楽しさ」の意識も、「怒り」の意識も、議論の厄介さに対する「苛々する」という意識も持つことがなく、“意識(クオリア)”というものが全くない、という点である。哲学的ゾンビにとっては、それらは物理的化学的電気的反応の集合体でしかない。
外に出る感情や反応は普通の人間と同じだが
中身は意識を持たない空っぽな存在
言ってみれば機械人間?
五分前にお湯をいれたという状態で世界が作られた
はいろんぱ
五秒前にお前が五分前にカップ麺にお湯入れた世界が創造されていたとしたら?
ちょ
伸びてね?
もし死んで意識だけが残ったらとかウニに生まれ変わったらとかって考えると不安になる
スワンプマン
スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。思考実験の詳細
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
シュレディンガー「せやね」
その通りです
それがまさに哲学的ゾンビ
自分以外の世界は感情表現というコードを持ってるだけの
本当は感情や意識とか無いゾンビだらけのゾンビワールドかもって思考実験
まあ似たようなもんだが
シミュレーション仮説
シミュレーション仮説(シミュレーションかせつ)とは、人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説のこと。
哲学者ニック・ボストロムは、我々がシミュレーションの中に生きているという可能性を追求した。彼の主張を簡単にまとめると次のようになる。Ⅰ.何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。
Ⅱ.そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
Ⅲ.シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。
なぁ
そろそろ貴様に言わなければならないことがあるんだ。
俺も今日まで言うべきかどうか悩んだ。
言わなければお前も俺も普通の生活を続けていくことができる。今までどおりにな。
だが、やっぱりそれじゃだめなんだ。偽りのなかで生きていてはだめなんだ。
それに、もう時間がないんだ。
今、俺はお前に真実を告げる。
2ちゃんねるを
見ているのは
ひろゆきと
俺と
お前だけだ。
驚いたか?当然だよな。だがそれが真実だ。
辛かったぜ。お前が2ちゃんを見つけるずっと前から、
俺は何十台ものPCに囲まれ毎日2ちゃんを保ってきた。
だから、あの厨房も、あのコテハンも、すべて俺だったんだ。
お前が初めて2ちゃんを見たとき、俺は人生であれほど嬉しかったことはなかったぜ。
時には心苦しいながらもお前を叩いたりもした。許してくれ。
と、今話せるのはここまでだ。もうすぐすべてを知るときが来る。
そのときまでに、心の準備をしておいてくれ。
>>31
このコピペ見るたびに何故か笑ってしまう
てかこれそろそろjimに変えた方が良いな
jimなんてキャラクターは俺のコテハンのひとつでしかない
なん……だと
水槽の脳
水槽の脳とは、あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の中の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。内容
ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を、電極を通して脳波を操作できる非常に高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから、水槽の脳はコンピュータの操作で通常の人と同じような意識が生じよう。実は、現実に存在すると思っている世界は、このような水槽の中の脳が見ている幻覚ではなかろうか?
ならもうちょっとイケメンもてもてに設定して欲しかったな
どうだか分からないことなんてどうであってもいいこと
だけど、そういう、どうにでもなっていいことやどうであってもいいことを全力で考えられるのも人間のいいところだと思うよ
的な
無い
意識には私秘性があるから不可能
人間が宇宙構造の全一的説明に辿り着けないのは造物主がまだそこまで細部の世界設定をしてないからとか子供っぽい脳内遊戯よくやってた
罪悪感が無くなるんだから
営業スマイルなるものってまさにそれなんじゃないのか?
違うよ
営業スマイルには起源になる人心の情動があるけどゾンビに内心はない
哲学的ゾンビは中身完全空虚という設定だから現実的にはあり得ない
言ってみれば脳もそれに代替するようなAIとかすら無いのに
外から見た行動は普通の人間と変わらない存在
哲学的ゾンビはクオリアが無いだけでしょ
独我論
独我論
独我論(どくがろん)は、哲学における認識論の見方の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。独在論、唯我論とも。
私たちが事物を認識するとき、何らかの客観的な事物が存在し、感覚器官を通じてその事物が意識の中に現れると考える。例えば、「私はリンゴを見ている」というとき、まず私の認識とは無関係に存在する客観的なリンゴがあり、ついで私の視覚を通じて、私の意識の中に、主観的なリンゴの形や色が現れ、両者は一致する。これが、事物を説明するにあたっての常識的な考え方である。
認識論における観念論は、実在論とは逆に、懐疑主義的立場からしても絶対に疑えない精神の存在を出発点とし、物体・身体・世界等の存在について証明しようとする(デカルト)。その証明の方法は論者により様々であるが、その困難さから証明に失敗したと評者からみなされたとき、その論者は独我論であると非難されることになる。独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。また、他人の存在、他我も説明できない。これが素朴な独我論の帰結になるはずだが、それはおかしいというのである。
ひょー!やっぱあるんだあ
哲学的ゾンビとかマリーの部屋とか考えると面白いよね
マリーの部屋
マリーの部屋(マリーのへや、Mary’s Room)またはスーパー科学者マリーとは、フランク・ジャクソンが「随伴現象的クオリア」”Epiphenomenal Qualia” (1982)、さらに「マリーが知らなかったこと」”What Mary Didn’t Know” (1986) という論文の中で提示した、哲学的思考実験である。この思考実験は、性質二元論または中立一元論の立場から物理主義(心的なものも含む宇宙は全て物理的なものであるという立場)に対して展開されるもので、しばしば知識論法(Knowledge Argument)とも呼ばれる。思考実験
マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。次のように想定してみよう。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理的過程に関して得られる全ての物理情報を手にしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている。例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激するということを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が収縮し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声される、ということをすでに知っているのである。(中略)さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろうか?
球状だと思っている我々こそ空前絶後の壮大なペテンによって洗脳されてる可能性が0とは言い切れないってね
俺も似たようなことは思うけど
信じないわけじゃなくてとりあえず仮定としてそのまま置いておくから
支障はきたさない
地球が球状でも平坦でも自分に及ぼすものが同じならそこに違いはないからな
それはなぜ宇宙は人間がちょうど良く生きられるような環境になったのかということで、もしも物性値や科学定数が少しでもずれていればこの樣に人類は存在できていなかったとか何とか
世界を創造するような超自然的能力を信じずにはいられないとか
環境がどうにか整っていたからどうにかホモサピエンスまで進化出来たって考えられないか
人間の視点で見るから絶妙なバランスに思えるんじゃないか
知らずに考えてたわ
俺哲学者なれんじゃね
それをわかりやすく周囲に伝える能力がお前にあればな
学者の条件に人に分かりやすく伝えるってのは必要なくね
有名な哲学者の本でわかりやすいの一つもないぞ
言語(まあ媒体は絵でも音楽でも、とにかく他人に伝えられる方法であればなんでもいい)で表現できない事を考えたとして、それは考えた事になるのか?
俺はならないと思う
上述の天才科学者マリーの部屋の例もあるとはいえ、哲学にとって言語が果たす役割というのは大きい
それを蔑ろにして哲学は成り立たない
哲学者の本だって、順序立てて読んでいけばちゃんと理解出来るものも多い
というか、哲学者の本が読みづらいのは、読む側に基礎知識だとかその本が書かれた当時の世相だとかがわからないから、ってのが大きい
時事ネタのギャグが時間の経過で笑えなくなるのと同じ理屈で、当時の事を理解してないと意味がわからない場合も多い
昼間正常な頭で考えても「あーそうかそうか」で終わる
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou3.html
考えは考えであって現実じゃない
現実に対して勝手に考えるのが思考
思考は空想以外ではありえない
脳内の想像なんだからな
もうみんなわかってると思うところあえて書くけど
シュレディンガーの猫はミクロだと確率論的に振る舞うとかありえねーだろっていうツッコミのためのもんだからな
意志が世界のありように働きかけるとかそういうのは量子力学関係なくてただの神智学とかニューエイジだからな
食事してて俺の食べかけと美少女の食べかけがごっちゃになったとするじゃん
それをテキトーに選んでそれぞれが食べた場合は1/2の関節キスってことになるじゃん?
片方が2つとも食べたら完全に関節キスじゃん?
でも1/2の関節キスの方が甘酸っぱくていいよね
1001: 以下の記事もオススメです 2032/3/2(火) 04:044:44.44 ID:usi32.com
元スレ:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1428499425/
トゥルーマンショーってどう考えてもホラー映画ですよね
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